「エブリ リトル シング '09」感想の続き

舞台とは全く関係無いことですが、舞台を見ていて感じたもう一つのことを別項として書いておきます。本当に舞台とは何の関係もないので、興味のある方だけ読んでいただければと思います。

なっち推しとしての感想

8/1のコンサート以降、というより以前からずっと感じていたなっちコンの盛り上がり方に対する違和感。これをどのような形でなっちに伝えればいいのか、あるいは伝えない方がいいのか。伝えたいことは断片的にはイメージできるけれど、それらが上手くまとまらない。そんな状態でなっちの誕生日である8/10を迎えました。そんな状況で見たこの舞台で・・・、


(以下、舞台のネタバレを含みます)





「黒丸の話」が出てきたときに、「自分とは感性がまるで違う、唯一無二の『安倍なつみ』という存在をそのまま応援していけばいいのかな」という考えがふとよぎりました。

本作の中に「黒い丸」の話が登場します。周囲が黒い丸でないから、そこに黒い丸が存在します。あなたの周りがあなたでないから、あなたは存在しているのです。

(会場で配布されるパンフレットの、大村あつしさん(原作)のコメントより)


この話は、(正確に表現できていないかもしれませんが)不幸な境遇もそれは一つの個性であるという趣旨で用いられる例えです。しかし、「個性」という意味では全ての人や物に当てはまることなのだと思います。


数多(あまた)の歌手の中で私が応援する「安倍なつみ」という「黒い丸」。そして、それは同時に私の感性という白い紙の中に書かれた「黒い丸」でもあるのかな、と思います。


これと同じような考え自体は今までもずっと持っていたことですし、何故これを見て今までのモヤモヤが晴れたのかは分かりません。でも、きっとこれは、なっちの誕生日というこの日に、「保田圭」という私の感性の中の「白い丸」が誘ってくれたエブリリトルシングの断片なのだということにしておきたいと思います。


お後がよろしいようで(笑)